SSブログ
平和運動 ブログトップ
前の10件 | -

2017年の3・1ビキニデーは [平和運動]

3・1ビキニデー 2017
http://www.antiatom.org/bikini_day/


◆日本原水協全国集会・国際交流会議
日 時:2月27日(月)14:30~17:30
会 場:静岡グランシップ11階・会議ホール風

◆オプション企画 東富士基地ウォッチング.
8:15JR静岡駅南口←詳細は問い合わせてください。

◆日本原水協全国集会・全体集会
日 時:2月28日(火)13:00~15:00
会 場:静岡グランシップ・中ホール

◆日本原水協全国集会・分科会
2月28日(火)15:30~18:30
静岡グランシップ内各会場


●1  核兵器禁止条約の実現へ―「ヒバクシャ国際署名」をひろげよう  焦点となる核兵器禁止条約の交渉会議が3月、6~7月と国連本部で開かれるなか、もっとも問われる世論と運動をどう展開するのか、「ヒバクシャ国際署名」を中心とした全国の草の根活動をどう前進させていくのかを討議・交流します。


●2  被爆者とともに―被爆体験と被爆の実相を
 核兵器禁止条約の交渉会議が国連本部で3月以降開催される2017年。広島・長崎の被爆者による実相普及を焦点に、2017年の被爆者援護・連帯活動のあり方を交流・討論します。


●3  沖縄のたたかいを全国へ―憲法を生かし、非核平和の日本を
 安倍政権がねらう明文改憲や、米国の核戦争にも参加しかねない「戦争する国づくり」を止めるためには「ヒバクシャ国際署名」など非核平和の人々の共同を広げることが必要です。新基地建設反対・オスプレイNO!をかかげてたたかう「オール沖縄」の経験と全国の運動に学び、憲法を生かす非核平和の日本実現へ交流を深めます。


●4  原発ゼロ、被災地支援、自然エネルギーへの転換めざして
 東日本大震災・東京電力福島第1原発事故からまもなく6年。被災者の実情を知り、放射線被害根絶、被災地支援、原発ゼロをめざすとりくみを交流します。


●5  国民平和大行進と非核平和の自治体づくり
 5月の2020年NPT再検討会議第1回準備委員会、6~7月の核兵器禁止条約交渉会議と並行して8月の原水爆禁止世界大会を成功させるためにおこなわれる国民平和大行進。若い世代を巻き込み、全ての自治体での行進を目指すために交流し、知恵を出しあいます。


●6  ビキニ事件と原水爆禁止運動を学ぼう <入門編>
 今も続くビキニ被災のたたかいを学びます。ビキニ事件や原水爆禁止運動に初めて触れる参加者向けの分科会です。ビキニ事件当時の署名運動をふりかえりながら、現在の到達点をつかみます。マーシャル諸島の海外代表や今も続くビキニ被災のたたかいを学びます。これらを通して、核兵器禁止条約実現の運動をどう広げるか交流し考えます。


◆Ring!Link!Zero2017inSHIZUOKA
      ~ 「ヒバクシャ国際署名」宣伝活動」
日 時:2月28日(火)19:00~20:30
場 所:静岡駅北口地下道
主 催:RLZ実行委員会


◆墓参行進・墓前祭
日 時:3月1日(水)/JR焼津駅南口集合=9:15/行進出発=9:30/墓前祭(弘徳院)=10:30~11:30
主 催:墓参行進(被災63年2017年3・1ビキニデー静岡県実行委員会、日本宗教者平和協議会)/墓前祭(日本宗教者平和協議会)


◆  被災63年2017年3・1ビキニデー集会
日 時:3月1日(水)13:00~15:30
会 場:焼津市文化センター・大ホール
主 催:原水爆禁止世界大会実行委員会、被災62年2016年3・1ビキニデー静岡県実行委員会
nice!(0)  コメント(0) 

静岡市です  平和行進です [平和運動]

24日(火)静岡市 青葉公園に到着です。
この日は、暑かった!
お疲れ様。
でも、沿道の声援に励まされた~って。
16.5.24平和行進・青葉公園到着①.jpg
16.5.24平和行進・青葉公園到着②.jpg
ホント、暑かっただろうな。
16.5.24平和行進・青葉公園到着③暑かった~、、ね.jpg


25日(水)
青葉公園を出発して、
七間町通り 
16.5.25平和行進 静岡市2日目①七間町通り.jpg
16.5.25平和行進 静岡市2日目②七間町通り.jpg
ありがとうございま~す!
16.5.25平和行進 静岡市2日目③毎年ありがとう~.jpg
16.5.25平和行進 静岡市2日目④そば、おいしいよ~。.jpg


全教・教組共闘の旗がリレーされています。
広島まで。
16.5.25平和行進 静岡市2日目⑤全教の旗もはためいて.jpg
ふ~っ、重っ!
16.5.25平和行進 静岡市2日目⑥全教の旗重いわ~。.jpg

午後には、焼津へ

nice!(0)  コメント(0) 

富士宮→富士 コンニチハ 平和行進です [平和運動]

5月22日(日)
富士宮駅南口に集合です。
今日は暑くなりそうです。

16.5.22平和行進富士宮①駅南口.jpg
16.5.22平和行進富士宮②スタート.jpg
平和行進 しゅっぱ~つ!
16.5.22平和行進富士宮③駅北口前スタート.jpg
富士山と平和行進  富士山 わかる?
16.5.22平和行進富士宮④行進と富士山.jpg
16.5.22平和行進富士宮⑤行進と富士山.jpg
16.5.22平和行進富士宮⑥行進と富士山.jpg
浅間大社前で、わっか~い人と対話
16.5.22平和行進富士宮⑦浅間大社前で若者にアピール.jpg

富士宮市役所前では、市長、議長のそれぞれ代理の方があいさつ
集団的自衛権の一部は賛成だが、地球の裏側にも などの安倍さんのやり方は賛成できない
と、保守の議員さんも。うんうん
市議会議員の方もあいさつに来てくれた方も。
16.5.22平和行進富士宮⑧市役所前で集会.jpg


暑いけど、風邪が吹き通る富士市役所前で
出発式
16.5.22平和行進富士①市役所前.jpg
16.5.22平和行進富士②行進.jpg
16.5.22平和行進富士③橋の上 暑~い.jpg
16.5.22平和行進富士④本日終結.jpg
平和がいいね~
核兵器をなくそう
沖縄の事件 抗議!


今日23日(月)は、
蒲原 ~ 由比
昼の休憩を挟んで
14:00ごろJR清水駅前
→水神さんで休憩
→15:00 次郎長通り 
16:00ごろ
鉄舟寺・原爆慰霊碑前で学習と交流の集会~17:00の予定。


明日24日(火)は
8:45清水区役所前集合で歩きます。
また、昼は、13:00古庄ルーテルひかり教会前集合で、
沓谷~清水公園~伝馬町通り・・・
16:20頃青葉公園B1に着いて、
歓迎集会の予定です。


nice!(0)  コメント(0) 

原水爆禁止平和行進 静岡県内 前半の予定 [平和運動]

59回目を迎える原水爆禁止平和行進は、
5月6日、東京・夢の島公園を出発しました。
16平和行進東京②.png
16平和行進東京.png
16平和行進東京~神奈川.png


東京から神奈川へ


5月19日(木)から31日(火)まで
静岡県内13日間 歩きます。
       ぜひ、ごいっしょに,
         また、平和行進が通りましたら、
声援とカンパをお願いします。

静岡県内 平和行進 予定 前半

5月19日(木)11時30分湯河原・川端公園(千歳橋)
 神奈川県から引き継ぎ、静岡県に入ります。
 途中バスなどに乗りますが、
 熱海駅から熱海の渚公園15時30分ごろまで歩きます。
5月20日(金)8時45分ユーコープ田方センターに集合
 森永製菓前、南高跡などを通って三島市役所まで歩きます。
 三島市役所でイベントの後、13時頃
 ユーコープ桜づつみ店14時40分ごろを経て、三菱アルミ前などを通り、
 裾野市役所・小柄沢緑地16時30分ごろまで歩きます。
5月21日(土)9時に御殿場・国立青年の家前から
 自衛隊滝ケ原基地、キャンプ富士の間の道を
 歩きます。フェンスの向こうを一緒に歩いてくれる方々もいるかも、
 桜公園まで。車移動で、御殿場市役所
 バス、車などで移動も含めて、沼津市役所へ。
 沼津市役所で、みんなの話を聞きます。
 そこから、今沢基地(海岸)まで歩きます。途中片浜小学校辺りで休憩。
 今沢海岸で何が行われているでしょう?
5月22日(日)9時30分にJR富士宮駅南口平和の像広場に集合します。
  浅間神社→西富士宮駅10時40分ごろ→富士宮市役所
   車などで移動  富士市役所 14時00分ごろから第一小学校前
  スルガ銀行前 → 
 富士市まちづくりセンターまで歩きます。15時30分ごろ
5月23日(月)8時45分 JR新蒲原駅前 →由比本陣
  JR由比駅11時49分?乗車 → JR清水駅下車
  13時30分ごろ出発 → 辻町→本郷町→駅前交差点→駅前銀座
   水神さん・休憩14時40分ごろ
  →次郎長通り → 鉄舟寺 原爆慰霊碑 16時10分ごろ
5月24日(火)8時45分 清水区役所集合
   芳川駐車場10時30分ごろ休憩 
   11時30分ごろJR草薙駅 
   静鉄草薙駅乗車→🚆静鉄電車→古庄駅 下車
   13時00分ごろ古庄ルーテルひかり教会前
   →上土薬局前→沓谷5丁目交差点→沓谷2丁目交差点
   →新北街道→太田町交差点→きよみずさん通り
   清水公園15時00分ごろ休憩
   音羽町第3踏切→横田町東交差点→伝馬町通り→静岡109前
   →御幸町交差点→        →常磐公園16時30分ごろ到着
5月25日(水)8時30分常磐公園集合
    青葉通り→         →駒形通り→駒形小学校前
    →弥勒公園9時30分ごろ休憩→安倍川橋越えて左折
    →国1・JRガード下通過→    →川原通り→光用院前
    →みずほ公園
    JR安倍川駅からJRで、焼津駅へ 
    バスで 弘徳院
     以下 つづく   
nice!(0)  コメント(0) 

3・1ビキニデー  立ち上がる全国の被災船員の方々 [平和運動]

ビキニデー
 2月28日(日)14:30~17:30
  原水協・国際交流会議
 2月29日(月)13:00~15:00
  原水協全体集会
     
         15:30~18:30
        分科会
  以上 グランシップ JR東静岡駅下車すぐ

 3月 1日(火)
  9:15 JR焼津駅南口
   墓参行進~墓前祭

 13:00~15:30
   ビキニデー集会
    焼津市文化センター



Twitter画像20160226.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

沖縄ツアー・平和の旅 大人版 (2) [平和運動]

沖縄ツアー・平和の旅 大人版 (2)

沖縄国際大学
15.12.27沖縄ツアー・沖縄国際大学①.jpg
15.12.27沖縄ツアー・沖縄国際大学②.jpg


嘉手納基地
15.12.27沖縄ツアー・嘉手納基地①.jpg
15.12.27沖縄ツアー・嘉手納基地②.jpg
15.12.27沖縄ツアー・嘉手納基地③.jpg


昼食は、かつ丼セット・・・
15.12.27沖縄ツアー・かつ丼セット 沖縄そば付?.jpg
15.12.27沖縄ツアー・かつ丼セット 沖縄そば②.jpg

nice!(0)  コメント(0) 

74年前 コタバル上陸 [平和運動]

2015年12月9日
YWCA9条の会呼びかけで
「サンタのアピール」としてサンタになって
「子どもたちに平和な未来をプレゼントしよう」
とアピールします。
あす12時から1時 青葉公園前です。
15.12.8サンタのアピール.jpg



1941年12月8日、
ハワイの真珠湾攻撃の前に、
日本軍は、
マレー半島の
コタバルに
多数の犠牲を出しながら
上陸。


74年前・・・


今、戦争のことを
学び、語りあってみませんか。


「マレー作戦」などで調べると・・・。
nice!(0)  コメント(0) 

長崎原爆の日 ~ 願いは何か? [平和運動]

「平和宣言」「平和への誓い」「首相あいさつ」
<長崎原爆の日>平和宣言
 昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾により、長崎の街は一瞬で廃墟(はいきょ)と化しました。
 大量の放射線が人々の体をつらぬき、想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。24万人の市民のうち、7万4000人が亡くなり、7万5000人が傷つきました。70年は草木も生えない、といわれた廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。しかし、放射線に体を蝕(むしば)まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は、あの日のことを一日たりとも忘れることはできません。
 原子爆弾は戦争の中で生まれました。そして、戦争の中で使われました。
 原子爆弾の凄(すさ)まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。日本国憲法における平和の理念は、こうした辛(つら)く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。
 今、戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。長崎や広島の被爆体験だけでなく、東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、沖縄戦、そしてアジアの多くの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。
 70年を経た今、私たちに必要なことは、その記憶を語り継いでいくことです。
 原爆や戦争を体験した日本、そして世界の皆さん、記憶を風化させないためにも、その経験を語ってください。
 若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。そして、「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。
 世界の皆さん、戦争と核兵器のない世界を実現するための最も大きな力は私たち一人ひとりの中にあります。戦争の話に耳を傾け、核兵器廃絶の署名に賛同し、原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、集まれば大きな力になります。長崎では、被爆二世、三世をはじめ、次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。
 私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。
 今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択できないまま閉幕しました。しかし、最終文書案には、核兵器を禁止しようとする国々の努力により、核軍縮について一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。
 NPT加盟国の首脳に訴えます。
 今回の再検討会議を決して無駄にしないでください。国連総会などあらゆる機会に、核兵器禁止条約など法的枠組みを議論する努力を続けてください。
 また、会議では被爆地訪問の重要性が、多くの国々に共有されました。
 改めて、長崎から呼びかけます。
 オバマ大統領、核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。被爆者が、単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。
 日本政府に訴えます。
 国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。
 この夏、長崎では世界の122の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。
 11月には、長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。核兵器の恐ろしさを知ったアインシュタインの訴えから始まったこの会議には、世界の科学者が集まり、核兵器の問題を語り合い、平和のメッセージを長崎から世界に発信します。
 「ピース・フロム・ナガサキ」。平和は長崎から。私たちはこの言葉を大切に守りながら、平和の種を蒔(ま)き続けます。
 また、東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、長崎はこれからも応援し続けます。
 現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯(しんし)な審議を行うことを求めます。
 被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。日本政府には、国の責任において、被爆者の実態に即した援護の充実と被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。
 原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧(ささ)げ、私たち長崎市民は広島とともに、核兵器のない世界と平和の実現に向けて、全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。
 2015年(平成27年)8月9日
長崎市長 田上 富久


<長崎原爆の日>平和への誓い
2015年08月09日
 70年前のこの日、この上空に投下されたアメリカの原爆によって、一瞬にして7万余の人々が殺されました。真っ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人。かぼちゃのように膨れあがった顔。眼(め)が飛び出している人。水を求め浦上川で命絶えた人々の群れ。この浦上の地は、一晩中火の海でした。地獄でした。
 地獄はその後も続きました。火傷(やけど)や怪我(けが)もなかった人々が、肉親を捜して爆心地をさまよった人々が、救援・救護に駆け付けた人々が、突然体中に紫斑が出、血を吐きながら、死んでいきました。
 70年前のこの日、私は16才。郵便配達をしていました。爆心地から1・8キロの住吉町を自転車で走っていた時でした。突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ道路に叩きつけられました。
 しばらくして起き上がってみると、私の左手は肩から手の先までボロ布を下げたように、皮膚が垂れ下がっていました。背中に手を当てると着ていた物は何もなくヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。不思議なことに、傷からは一滴の血も出ず、痛みも全く感じませんでした。
 それから2晩山の中で過ごし、3日目の朝やっと救助されました。3年7カ月の病院生活、その内の1年9カ月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。
 そのため私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨(ろっこつ)の間から心臓の動いているのが見えます。肺活量は人の半分近くだと言われています。
 かろうじて生き残った者も、暮らしと健康を破壊され、病気との闘い、国の援護のないまま、12年間放置されました。アメリカのビキニ水爆実験の被害によって高まった原水爆禁止運動によって励まされた私たち被爆者は、1956年に被爆者の組織を立ち上げることができたのです。あの日、死体の山に入らなかった私は、被爆者の運動の中で生きてくることができました。
 戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されました。しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。
 核兵器は残虐で人道に反する兵器です。廃絶すべきだということが、世界の圧倒的な声になっています。
 私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一人として、その実相を世界中に語り続けることを、平和を願うすべての皆さんの前で心から誓います。
平成27年8月9日
被爆者代表 谷口稜曄(すみてる)


<長崎原爆の日>首相あいさつ
2015年08月09日
 本日ここに、被爆七十周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が執り行われるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
 そして、被爆による後遺症に、今なお苦しんでおられる方々に対し、衷心(ちゅうしん)よりお見舞いを申し上げます。
 あの日投下された原子爆弾により、長崎の地が、草木もない焦土と化してから70年が経(た)ちました。当時、7万ともいわれる、あまたの貴い命が奪われました。惨禍の中、生き永らえた方々にも、筆舌に尽くしがたい苦難の生活をもたらしました。
 しかし、苦境の中から力強く立ち上がられた市民の皆様によって、世界文化遺産と美しい自然に恵まれた国際文化都市が、見事に築き上げられました。
 今日の復興を成し遂げた長崎の街を見渡すとき、改めて平和の尊さを噛(か)みしめています。そして、世界で唯一の戦争被爆国として、非核三原則を堅持しつつ、「核兵器のない世界」の実現に向けて、国際社会の核軍縮の取り組みを主導していく決意を新たにいたしました。
 特に本年は、被爆70年という節目の年です。核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議では、残念ながら最終合意には至りませんでしたが、我が国としては、核兵器国と非核兵器国、双方の協力を引き続き求めつつ、「核兵器のない世界」の実現に向けて、一層の努力を積み重ねていく決意です。この決意を表明するため、本年秋の国連総会に新たな核兵器廃絶決議案を提出いたします。
 8月末に広島で開催される包括的核実験禁止条約賢人グループ会合並びに国連軍縮会議に続き、11月には、パグウォッシュ会議がここ長崎で開催されます。更に来年には、G7外相会合が広島で開催されます。これらの国際会議を通じ、被爆地から我々の思いを、国際社会に力強く発信いたします。また、世界の指導者や若者が被爆の悲惨な現実に直(じか)に触れることを通じ、「核兵器のない世界」の実現に向けた取り組みを前に進めてまいります。
 今年、被爆者の方々の平均年齢が、はじめて80歳を超えました。高齢化する被爆者の方々に支援を行うために制定された「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」も、施行から20年を迎えました。引き続き、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策を、しっかりと進めてまいります。
 特に、原爆症の認定につきましては、申請された方々の心情を思い、一日も早く認定がなされるよう、審査を急いでまいります。
 結びに、亡くなられた方々のご冥福と、ご遺族並びに被爆者の皆様のご多幸をお祈り申し上げるとともに、参列者並びに長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私のご挨拶(あいさつ)といたします。
 平成27年8月9日
内閣総理大臣・安倍晋三

nice!(0)  コメント(0) 

平和をつなごう! [平和運動]


原水爆禁止平和行進は、5月31日、静岡県から愛知県へ引き継がれました。

15.5.31平和行進・湖西②翻る全教旗.jpg

全教、教組共闘、全国私教連のリレー旗も引き継がれました。

15.5.31平和行進・湖西⑧全教旗も引継ぎ.jpg

広がれ~、平和の思い!
今まで以上に、緊迫した情勢です。
広げよう、平和を願う声を!


戦争法案も、理由は「抑止力」
NPT会議で最終文書が決められなかったのも、核は「抑止力」


「抑止力」って、何? イメージを広げよう!
nice!(0)  コメント(0) 

原水爆禁止平和行進 静岡市 [平和運動]

5月6日に東京 夢の島を出発し、19日に静岡県(熱海市)に入った、原水爆禁止平和行進は、
24日に静岡市に入りました。広島までの通し行進者、静岡県内の通し行進者、それぞれ元気で、


「コンニチハ~、平和行進で~す」


1日だけの参加者よりも元気!
25日(月)は、朝、青葉公園を出発しました。
15.5.25平和行進・静岡市青葉公園出発式.jpg
尚、通し行進者などに対して、川勝県知事から、
メッセージ、協賛金、ペナントが渡されたそうです。

15.5.25平和行進・静岡市駒形通へ.jpg
暑い中、駒形通を西へ。

途中で、何人にも声援やカンパをいただきました。
やっぱり、国会で「戦争法案」審議入り前で、不安な気持ちもあるのでは。
「ポツダム宣言」を知らない首相
「後方支援」と「兵站」が同じだということを知らない首相、
いや、知っているけど「認めない」が、当たっているのではないでしょうか。
とにかく「戦争する国」にしたい首相の下での国会が、心配だと思います。


15.5.25平和行進・静岡市弥勒近く.jpg


15.5.25平和行進・静岡市 全教リレー旗.jpg

全教のリレー旗です。


安倍川橋を渡り、みずほ公園に昼前に着きました。


ごいっしょに 歩きましょう!
静岡県内は、31日まで。





nice!(0)  コメント(0) 
前の10件 | - 平和運動 ブログトップ