第4回静岡市子ども平和の旅 報告その2 [子ども平和の旅]
戦争の時、日本中の学生も動員させられました。この後、お話を聞いた江草さんもそのひとりです。
静岡でもそう。ここでは、全国の学徒動員させられた学生の慰霊をしています。「静岡中」現在の静岡高校なども刻まれています。
供養塔には、たくさんの遺骨が納められています。その中には、800余の氏名が分かっても遺族の申し出がない遺骨も。
その横にある年表には、「~年に遺骨が発掘された」という記述が、随所に書かれています。最近でも。
後の江草さんの話にも出てきましたし、2日目の似島でもそうですが、原爆で亡くなられた方の遺骨は、まだまだ土中、海中、川の中に人知れず眠っているそうです。無念でしょうね。
平和の鐘は、お寺の鐘と違って、鳴らした時、中に入っても大丈夫。音は外へ響きます。平和を外に向かって訴えているのです。
子どもたちは、ひとり100羽の折り鶴を折ってきました。(宿題!)その折り鶴を、市教組の松井さんが千羽鶴にしてくれました。
毎回、原爆の子の像の所に、掲げています。後でも触れますが、何と3日目の見学地 旧日本銀行広島支店の3階に、第2回子ども平和の旅の時の千羽鶴がありました。
大勢の方が、千羽鶴をかけていました。
平和記念公園とその周辺には、50以上の記念碑、モニュメントなどがあります。一つひとつを見るためには、1日では足りません。3日目の報告で、また触れます。
尚、この公園の場所は、原爆投下まで大勢の人々が住んでいて、家や建物がありました。公園になる前に、土を持ってきて埋め立てました。土の下には、まだまだ遺骨や大勢の人々の生活の跡が隠されています。
2011-08-28 18:19
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0