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今年も 広島へ(その6) [子ども平和の旅]

第5回静岡市子ども平和の旅   広島へ  (その6)

今日は、朝から班別で行動します。
軍都であった広島には、大本営も置かれました。
そして、当時 中国軍管区司令部が置かれていました。

広島平和記念資料館平成24年度第1回企画展  『基町』 のパンフには、
「8月6日午前7時31分に警戒警報が解除され、基町の各部隊は8時ごろからその日の作業に取りかかっていました。
原爆のさく裂直後、多くの人はせん光を感じると同時に、爆風で倒壊した建物の下敷きとなり、あるいは遠くに吹きとばされていました。
中国軍管区司令部を中心に、歩兵・砲兵・輜重兵の各兵舎や、その他陸軍病院などの施設は倒壊、炎上し、基町は壊滅状態となりました。」とあります。
被爆したクロガネモチです。その向こう、大本営跡。
12.8.20子ども平和の旅・被爆クロガネモチと大本営跡.JPG
 班別行動では、旅館に近いということもあって、4つの班とも最初の見学地を「広島城」にしていました。
 行き方は、歩きと広電。2つの班は、旅館から栄橋を渡って、他の2つは広島駅から広電で「紙屋町」へ。
 時間差を付けて出発させたのですが(スタッフは、各ポイントに先に出かけました。)、
地図と実際がなかなか一致しなかったり、
照りつける太陽に足が進まなかったり(3日目で、しかも昨夜夜更かしした不届き者がおったため?)
途中、縮景園(ここにも被爆した木が)に寄ってソーダ味のアイスクリームをなめたりしていて、
(縮景園近くに、佐々木禎子さんの母校の幟町小・中学校があります。また、世界平和記念聖堂を回った班もあります。)
 9時過ぎに旅館を出たのに、最後の班が到着したのは10時半を回っていました。
 
 広島城には、中国軍管区司令部の防空作戦室がありました。分厚いコンクリートの壁でできた防空壕です。
(予約して警備員室から鍵を借りて見学します。)
被爆当時勤務していたのは、学徒動員で来ていた14歳の女学生岡ヨシエさん。軍事専用電話を使って、福山の軍隊に被爆の状況を伝えたそうです。これが「第一報」。


2つ目のポイントは、本川小学校  ここの資料館は、受付が事務室。そのために、月曜日にしました。
事前にお願いをしてあったので、うれしいことに、入口に子どもたちの字で案内がありました。
実際には作者は通っていないようですが、『はだしのゲン』の舞台となっています。
12.8.20子ども平和の旅・本川小資料館前の案内.JPG


本川小学校の後、
平和記念公園を通って『国立広島原爆死没者追悼祈念館』(昨年お話を聞いた場所)を回りました。、
広電で『広島市役所 旧庁舎資料展示室』に行く班も。

ポイントは、他に旧日本銀行広島支店跡。
ここまで来れば、あとは昼食場所の『広島アンデルセン』です。
この本通りにあるパン屋さんの建物は、被爆した建物を利用しています。表を見るだけでは分かりませんが、
目を上げると、昔の建物の面影が。 
12.8.20子ども平和の旅・アンデルセン昼食.JPG
アンデルセンからは、袋町小学校はすぐそこです。近代的な「えっ、これが学校?」と目を見張る建物の横に『袋町小学校平和資料室』があります。
予想外に時間がかかっていて、
元安川のクルーズや買い物などもできず、旅館に。
12.8.20子ども平和の旅・広島駅帰り.JPG
帰りの新幹線は、スタッフはグッタリでしたが、小中学生16人は元気復活。
3日間で気心が知れて、また、夜のガールズトーク(?)などもあって、
にぎやかに帰ってきました。

12.8.20子ども平和の旅・静岡駅到着①.JPG
12.8.20子ども平和の旅・静岡駅到着②JPG.JPG
12.8.20子ども平和の旅・静岡駅到着③JPG.JPG
12.8.20子ども平和の旅・静岡駅到着④.JPG

 保護者の方のお迎えで、解散。
 ただ、「明日登校日」、部活、宿題がまだ・・・  と。ご苦労様。

 ポイントで、写真がない場所は、今までの「子ども平和の旅」を参照してください。
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