08年12/22静岡市教職員評価制度検討委員会で意見発表 [教職員評価の問題]
静岡市教職員評価検討委で意見発表 12/22
年末の12月22日(月)清水庁舎で、3年次第3回静岡市教職員評価制度検討委員会が開かれました。そしてその場で教職員関係団体からの意見聴取が行われました。
関係団体は、校長会、教頭会、園長会、静教組静岡支部、静教組清庵支部、がくろう、市立高教組、市労連幼稚園分会に市教組を入れた9団体です。
市教組の意見発表の骨子と、添付した資料(目次)は以下の通りです。
【静岡市教職員評価制度に対する静岡市教組の意見(骨子)】
1,基本的な考え
(1)新たな教職員評価の導入は学校の活性化や教職員の資質向上につながらない。
①そもそも「学校の活性化」「教職員の資質向上」とはどのようなことを指しているのか説明されていない。
②教育は集団的な営みであり、個々の教職員の努力を単独で評価することはできないし、それを無理に行えば職場の同僚性を壊す危険性が高い。
③教育は一人ひとりの児童・生徒に直接的に責任を負って行われるものであり、その成果を一つの物差しではかることはできない。
(2)新たな教職員評価制度が本当に市独自でできるのか、教職員の給与や人事に反映させないのか、今の段階で明確にしておくべき。
①文科省はできる限り県と同じ方法でやってほしいと言っている。
②来年度本格実施の県はすでに将来的には給与や人事に反映させる方向で研究を進めると明言している。
③これまでの職員団体からの意見聴取でも、すべての団体が教職員評価を給与や人事などに反映させないよう求め、その可能性を危惧している。教職員が最も不安に感じていることに答えないまま導入を進めるのは不当である。
(3)本当に学校の活性化と教職員の資質向上を目指すなら、まず教師がゆとりを持って自由な発想で教育に取り組める条件整備を進めるべき。
①過労死ラインを越えた長時間残業で多くの教職員が疲弊しきっている。労働基準法や労働安全衛生法に違反した状態を放置しておきながら、個人の努力での資質向上を一方的に求めるのはあまりにも非人間的である。。
②すべての教職員を同じ評価項目、評価基準で成績付けしていけば、教職員の個性が奪われ、どんどん画一化していく。それは、子どもの見方や子どもへの働きかけが画一化していくということで、それが「活性化」された学校とは到底考えら れない。
③教職員を育てるのは子どもであり、保護者であり、同僚である。放課後に子どもと遊ぶ時間も、職員室で子どものことを語り合う時間もない状況では学校の活性化や教職員の資質向上など図れるはずがない。
2,職務別シートについての意見
(1)これでは「育成型」とは言えないものになっている。
①結果が出るまでの過程が大切なのに、「中間面接」を省略してもよいというのは矛盾している。指導無くして「育成型」とは言えないはず。
②評価を教師のその後の成長につなげるのであれば、ABCではなく、文章表現で評価し、どこがどうよかったのか、どこをどう改善していけばよいのかをていねいに伝えるべき。面接だけで伝えても一過性に終わってしまうし、評価者またはその教師が異動になった場合、次の評価者に引き継がれない。
(2)評価基準が明確ではなく、評価者の裁量に任される部分が大きい。
①どこまでできていればAなのか、Bなのか、明確な基準が示されていない。
②初任者とベテランを同じ項目で評価するのであれば、それぞれにおいて評価基準を設ける必要がある。そうでなければ、当然、初任者はCが多くなってしまう。
③ABCの評価基準を評価者個人に任せられるほど、評価者の力量が高いとは到底思えない。
(3)職務別シートは教職員の時間外勤務をさらに増やす危険性がある。
①市教委の説明では職務別シートの評価は勤務時間内の行動だけが対象となると言われたが、現実に大部分の教職員が時間外勤務をしている状態で、勤務時間内の仕事の成果と勤務時間外の仕事の成果を分けるのは不可能である。
②成績を少しでも良くしたいと思えば、研修や実務など仕事量を増やさざるを得ない。それらの仕事は当然勤務時間外に行われることになる
(4)「育成型」というのであれば自己評価だけで十分であり、評価者による評価は必要ない。
3,不服申し立て制度の必要性
(1)案に示された制度では教職員の不満を解消し、評価者との関係を改善することはできない。
①担当者を教職員課に置いたのでは、相談すること自体が不利になるのではという不安が生じる。
②教職員評価が給与や人事などに反映させられれば、不当に低い評価をされた教職員は実際の不利益を受けることになる。先に述べたように給与や人事に反映させないという保障がないのであれば、その可能性を考慮して実効性のある救済措置を講ずるべきである。
(2)第三者機関による不服申し立て制度を確立するべき。
①担当を市教委の外に置くこと。
②弁護士や保護者も入った諮問委員会にすること。
③不服申し立てをしたことを理由に不当な扱いをした上司に対する罰則規定を設けること。
静岡市教職員評価制度に対する意見・資料 (目次)資料は書記局に。
1 「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」第46条
県立学校からの教職員評価制度試行の声
2 県教委 資料「4 人事管理への活用」「5 給与への活用」
3 大阪堺市教組資料 「私のひと言欄」
4 堺市 昇給へのリンク
5 名古屋市 昇給 資料
6 埼玉県 「最終確認事項」
7 (静岡市内)08年各学校からの報告 教職員評価について
8 ILO・ユネスコ共同専門委員会(CEART)中間報告
9 平成20年版労働経済の分析(労働経済白書)抜粋
10 静岡新聞11月15日社説「教員の心のケア 多忙さ軽減と啓発急げ」
11 ウェルリンク文科省委託「教員のメンタルヘルス対策 調査」
12 平成19年4月27日「教職員の勤務時間の適正化について(通知)」
13 (静岡市内)08年各学校の報告から 教育職員始業終業時刻等記録について勤務時間管理の適正化について
多忙・体の不調 などについて
14 シンポ理想の学校教育の実現を目指して 発言から
15 05年、06年「勤務状況調査」から
16 県教委「学校を取り巻く実態状況調査」から 中学校教諭の場合
17 企業における「心の病」は依然として増加傾向
追加資料
「『教員評価』における成果主義は、①労働のフレキシブル化、②達成目標と計画の遂行こそビジネスだという考えの浸透、③数量化した達成目標の自主申告とその評価並びにこれと日頃の職務態度の評価にようる『総合』的人事管理、という構造的な三層をもっている。
このような評価の仕組みのもとで、教師の仕事本来の、実践経験や生き方の総体としてのワーク(教育労働)が、目標を達成できたかどうかという個別のジョブとして分解されて評価されるという根本的な矛盾が起きる。その結果、教育の根幹を成す共同性・公共性が内側から崩壊していくおそれが十分にある。」(全国生活指導研究会第47回大会基調提案から)
「『自己』目標の設定とはいうものの、それは組織体の一員としての自己であることが、前提になっている。個人の上に組織目標が位置づく仕組みなのである。」
「『組織目標を踏まえて』教員がそれを具体化・個別化したものとして自己目標が設定されるべきだ、といっている。(ブレイクダウン(細分化))…成果主義の自己目標管理は、けっして個々の教員の参加・共同型の学校経営ではなく、上から下へのいっそうの統制秩序型なのである。」(愛知教育大学 折出建二氏)
年末の12月22日(月)清水庁舎で、3年次第3回静岡市教職員評価制度検討委員会が開かれました。そしてその場で教職員関係団体からの意見聴取が行われました。
関係団体は、校長会、教頭会、園長会、静教組静岡支部、静教組清庵支部、がくろう、市立高教組、市労連幼稚園分会に市教組を入れた9団体です。
市教組の意見発表の骨子と、添付した資料(目次)は以下の通りです。
【静岡市教職員評価制度に対する静岡市教組の意見(骨子)】
1,基本的な考え
(1)新たな教職員評価の導入は学校の活性化や教職員の資質向上につながらない。
①そもそも「学校の活性化」「教職員の資質向上」とはどのようなことを指しているのか説明されていない。
②教育は集団的な営みであり、個々の教職員の努力を単独で評価することはできないし、それを無理に行えば職場の同僚性を壊す危険性が高い。
③教育は一人ひとりの児童・生徒に直接的に責任を負って行われるものであり、その成果を一つの物差しではかることはできない。
(2)新たな教職員評価制度が本当に市独自でできるのか、教職員の給与や人事に反映させないのか、今の段階で明確にしておくべき。
①文科省はできる限り県と同じ方法でやってほしいと言っている。
②来年度本格実施の県はすでに将来的には給与や人事に反映させる方向で研究を進めると明言している。
③これまでの職員団体からの意見聴取でも、すべての団体が教職員評価を給与や人事などに反映させないよう求め、その可能性を危惧している。教職員が最も不安に感じていることに答えないまま導入を進めるのは不当である。
(3)本当に学校の活性化と教職員の資質向上を目指すなら、まず教師がゆとりを持って自由な発想で教育に取り組める条件整備を進めるべき。
①過労死ラインを越えた長時間残業で多くの教職員が疲弊しきっている。労働基準法や労働安全衛生法に違反した状態を放置しておきながら、個人の努力での資質向上を一方的に求めるのはあまりにも非人間的である。。
②すべての教職員を同じ評価項目、評価基準で成績付けしていけば、教職員の個性が奪われ、どんどん画一化していく。それは、子どもの見方や子どもへの働きかけが画一化していくということで、それが「活性化」された学校とは到底考えら れない。
③教職員を育てるのは子どもであり、保護者であり、同僚である。放課後に子どもと遊ぶ時間も、職員室で子どものことを語り合う時間もない状況では学校の活性化や教職員の資質向上など図れるはずがない。
2,職務別シートについての意見
(1)これでは「育成型」とは言えないものになっている。
①結果が出るまでの過程が大切なのに、「中間面接」を省略してもよいというのは矛盾している。指導無くして「育成型」とは言えないはず。
②評価を教師のその後の成長につなげるのであれば、ABCではなく、文章表現で評価し、どこがどうよかったのか、どこをどう改善していけばよいのかをていねいに伝えるべき。面接だけで伝えても一過性に終わってしまうし、評価者またはその教師が異動になった場合、次の評価者に引き継がれない。
(2)評価基準が明確ではなく、評価者の裁量に任される部分が大きい。
①どこまでできていればAなのか、Bなのか、明確な基準が示されていない。
②初任者とベテランを同じ項目で評価するのであれば、それぞれにおいて評価基準を設ける必要がある。そうでなければ、当然、初任者はCが多くなってしまう。
③ABCの評価基準を評価者個人に任せられるほど、評価者の力量が高いとは到底思えない。
(3)職務別シートは教職員の時間外勤務をさらに増やす危険性がある。
①市教委の説明では職務別シートの評価は勤務時間内の行動だけが対象となると言われたが、現実に大部分の教職員が時間外勤務をしている状態で、勤務時間内の仕事の成果と勤務時間外の仕事の成果を分けるのは不可能である。
②成績を少しでも良くしたいと思えば、研修や実務など仕事量を増やさざるを得ない。それらの仕事は当然勤務時間外に行われることになる
(4)「育成型」というのであれば自己評価だけで十分であり、評価者による評価は必要ない。
3,不服申し立て制度の必要性
(1)案に示された制度では教職員の不満を解消し、評価者との関係を改善することはできない。
①担当者を教職員課に置いたのでは、相談すること自体が不利になるのではという不安が生じる。
②教職員評価が給与や人事などに反映させられれば、不当に低い評価をされた教職員は実際の不利益を受けることになる。先に述べたように給与や人事に反映させないという保障がないのであれば、その可能性を考慮して実効性のある救済措置を講ずるべきである。
(2)第三者機関による不服申し立て制度を確立するべき。
①担当を市教委の外に置くこと。
②弁護士や保護者も入った諮問委員会にすること。
③不服申し立てをしたことを理由に不当な扱いをした上司に対する罰則規定を設けること。
静岡市教職員評価制度に対する意見・資料 (目次)資料は書記局に。
1 「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」第46条
県立学校からの教職員評価制度試行の声
2 県教委 資料「4 人事管理への活用」「5 給与への活用」
3 大阪堺市教組資料 「私のひと言欄」
4 堺市 昇給へのリンク
5 名古屋市 昇給 資料
6 埼玉県 「最終確認事項」
7 (静岡市内)08年各学校からの報告 教職員評価について
8 ILO・ユネスコ共同専門委員会(CEART)中間報告
9 平成20年版労働経済の分析(労働経済白書)抜粋
10 静岡新聞11月15日社説「教員の心のケア 多忙さ軽減と啓発急げ」
11 ウェルリンク文科省委託「教員のメンタルヘルス対策 調査」
12 平成19年4月27日「教職員の勤務時間の適正化について(通知)」
13 (静岡市内)08年各学校の報告から 教育職員始業終業時刻等記録について勤務時間管理の適正化について
多忙・体の不調 などについて
14 シンポ理想の学校教育の実現を目指して 発言から
15 05年、06年「勤務状況調査」から
16 県教委「学校を取り巻く実態状況調査」から 中学校教諭の場合
17 企業における「心の病」は依然として増加傾向
追加資料
「『教員評価』における成果主義は、①労働のフレキシブル化、②達成目標と計画の遂行こそビジネスだという考えの浸透、③数量化した達成目標の自主申告とその評価並びにこれと日頃の職務態度の評価にようる『総合』的人事管理、という構造的な三層をもっている。
このような評価の仕組みのもとで、教師の仕事本来の、実践経験や生き方の総体としてのワーク(教育労働)が、目標を達成できたかどうかという個別のジョブとして分解されて評価されるという根本的な矛盾が起きる。その結果、教育の根幹を成す共同性・公共性が内側から崩壊していくおそれが十分にある。」(全国生活指導研究会第47回大会基調提案から)
「『自己』目標の設定とはいうものの、それは組織体の一員としての自己であることが、前提になっている。個人の上に組織目標が位置づく仕組みなのである。」
「『組織目標を踏まえて』教員がそれを具体化・個別化したものとして自己目標が設定されるべきだ、といっている。(ブレイクダウン(細分化))…成果主義の自己目標管理は、けっして個々の教員の参加・共同型の学校経営ではなく、上から下へのいっそうの統制秩序型なのである。」(愛知教育大学 折出建二氏)
2008-12-28 16:36
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