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10月29日木村裁判「準備手続」 争点は [木村裁判]

10月29日木村裁判「準備手続」報告  2010年10月29日(金)
10.10.29木村裁判①.JPG
静岡地裁前でテレビの取材を受けるお母さん


争点整理って、裁判長のため? 

  さあ、今日で「争点整理」と「証人申請」が決まると意気込みましたが、残念です。裁判長と弁護士との認識のズレが大きく、(今回は原告、被告とも一致)確認されたことは、次回までに「主張・争点」をコンパクトにまとめた文書を双方が出し合うこと、次回12月24日(金)13時30分から証人申請について決定することが決められました。
 「争点整理」については、もともと双方の主張(準備書面)の中で、争点は明らかになっています。「建築偽装事件や医療過誤などの事件」などの場合とはちがい、話し合いの中で新しい証拠が必要になるなどのことがあるわけではありません。
 従って今日は、改めて双方が、「争点」を裁判長に説明するというような形になってしまいました。(既に今までいくつもの「準備書面」(主張の文書)で明らかにしてきたのに)

争点 

 争点は「ひと言で言えば、『公務起因性』があるかないか」「公務との相当因果関係があるかないか」


 「誰を基準として判断するか。」=被告・地方公務員災害補償基金(基金)側は、「同じようなふつうの初任者を基準とすべき」(平均人基準説)と言い、原告・木村さん側は「同じように働いている最も弱い人を基準にすべき」(本人基準説、弱者基準説)と言っています。


 「うつ病発症の時期とその前後の過重性をどうとらえるか。」=被告基金側は、「5/18をうつ病発症の時期」とし、それ以前は大きな過重性はなかったとして、本人が弱かったからうつ病になったのであって、公務との関係はなく、その後にうつ病が増悪(ひどくなること)したとしても、公務との関係は問われないと主張。
 一方、原告木村さん側は、「仕事が原因での自殺であるかどうかが問われる」のであって、N君などの指導の大変さや、百合子さんのSOSに対して支援がなかったり、支援でない「支援」があったりして、百合子さんのうつ病は憎悪したとし、「公務上の災害」であると主張しています。


「木村さんの場合を認めたら、みんな公務災害になってしまう。(財政支出が大きくなる。)」というのが、基金側の姿勢のようです。一方「地方公務員災害補償法の趣旨どおり、公務による死亡なのだから、公務災害と認めるべき」というのが木村さん側の主張です。


「争点は、出し切っているので、あとは裁判所が判断すること」と被告・基金側が言うほど、既に口頭弁論や「準備書面」(双方の主張)で言い尽くされてきたことが、改めて裁判長から聞かれたわけです。傍聴者の中からは、「振り出しにもどっちゃった」という声が聞かれたそうです。


双方の主張が文書でなく「発言」として聞かれた 


  ただ、今までのような口頭弁論と言いながら、書面のやり取りの確認だけだったのが、発言として双方の主張が聞かれたことは、ある面では「争点」がハッキリしてよかったかもしれません。(上記「 」内など)

 今日のやり取りでは、被告・基金側は「同じようなふつうの初任者」と比べればいいと、「平均人基準説」をあからさまに発言しました。うつ病との関係でも、「発症前だけ(過重性)を考えればいい」とも。


「理想」と「現実」の支援体制? 

  また、SOSを出していた百合子さんへの「支援の状況」でも、「原告は理想論をあげているが、現実を踏まえて、このぐらいの支援が現状」では、できる範囲のことだったと言いました。原告と被告では「その評価の仕方がちがう」のだ、とも。

 被告・基金側が「理想論」と言ったということは、百合子さんへの支援が「理想」的ではなかったことを、はからずも認めました。そして、現実はこうなんだから、我慢しなさいと。 
 しかし、原告・木村さん側は、「理想論」を主張しているわけではありません。もちろん、この裁判を通して学校の改善を求めている事は確かですが。多くの教職員から届いた「意見書」などでも明らかなように、困っていたら同僚が支援したり、学校体制としてケース会議を開いて検討するなど組織として支援したりするのは、当然のことです。また、そうやって私は克服してきたという意見書も多くありました。

 今日の事後報告・学習会でも、「私の市の学校では、学級・担任が困っていたら、校長をはじめとして、学校全体で取り組むのは当たり前になっている。そうでなかった百合子さんの学校のことが信じられない」「百合子さんの勤めていた学校では、今は学校全体での支援体制を取るようになっている。」などの発言がありました。


基金の姿勢 

  「(同僚たちは)必ず本人のクラスの前を通ることとし」「できる限り行ける態勢をとって」だとか、「担任として自立を考えると、出過ぎても育たない」と、「適度な形で教室に行ったり、見たり」(公務外とした基金の通知)などの「態勢」が支援とは言えないことは、2004年の学校であっても明らかなことです。基金は、「支援体制」が不十分であったことを素直に認めるべきです。もっとも、「アルバイトじゃないんだぞ」と言った言葉は「先輩教諭としての当然の注意」であり、「これをパワーハラスメントと評価すれば、およそ新任者に対する指導育成は不可能である。」(基金「準備書面(1)」)などと言い切る基金ですから、無理なことかもしれません。県教委でさえ、今はこんな事は言えないでしょう。基金の役割が、ここによく見えます。

 基金の姿勢を変えるために尾崎裁判に続き、当たり前のことを当たり前にするたたかいが続きます。


お母さんから

「(思い切って)裁判して良かった。娘がこうなった時、許さないと思って。ひどくされているのは娘だけじゃない。(学校職場が変わるよう)いい影響があるようになってほしい。」(事後の会のあいさつで。木村百合子さんのお母さん)

★ 改めて基金側の教職員に対する冷たい姿勢がやりとりから感じました。
「アルバイトじゃないんだぞ。」をパワハラと認めないのはひどいですね。 S

★ 久しぶりに静岡地方裁判所に出かけ、玄関前のところをきれいに改修しており、車が入れないことを行ってから知りました。
 外観はきれいに繕っても、肝心の裁判官・裁判長が準備書面を丁寧に読む気持ちもないように感じてしまい、非常にがっかりしました。やはり、裁判長にしっかり内容を把握させるプレッシャーをかけることが必要のようです。     A

 署名運動が始まっています。是非ご協力ください。
 連絡は、054-271-8438静岡市教組へ


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書記局

報道ステーション16日(火)に、木村裁判について放映する予定だそうです。
但し、大きな事件がなければ・・・。
by 書記局 (2010-11-12 18:59) 

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