SSブログ

東日本大震災ボランティア報告 [がんばれ東北・関東]

静岡高教組のOBであるSさんが、支援ボランティアに行ってきました。
その報告が届きましたので、掲載します。

2011/03/24(木)~26日(土)    
                      
S
 2011/03/28記
行ってよかったが4人の共通の感想

3月24日(木)

 私たち4人が宮城県石巻の専修大学に着いたのは出発した日の夜遅くであった。
 前日までは東北道は通行止めであったが当日朝6時に全線開通した。
 ここの大学は石巻市防災センターになっておりボランティアーの受付窓口にもなっている。夜でもそんなに暗いわけではなく、広い構内は駐車している車がざっと3~40台。テントもいくらか張ってあるようだ。そんなことから多くのボランティアーがここに来ている事が窺われた。我々もテントを張って明日からの為に今夜はともかく寝ることにした。

3月25日(金)

 明るくなって起きてテントの多さに驚いた。回りを歩き回ってみると車には「災害救助」と張ってあったり「愛の救援隊」「お助け隊」など手書きの張り紙などいろいろとあった。
 車のナンバーを見ると神戸は勿論、札幌、滋賀、岡山、九州のナンバーなど全国どこからも来ているようだ。          
 持ってきたおにぎりなどを食べているとカナダから来たという人が話しかけてきた。災害ボランティアーでカナダから医師たちと大勢で来たという。

 朝食後は伊東から持ってきたたくさんの救援物質を大学構内で活躍しているピースボートに託した。 
 伊東から持ってきた救援物を降ろす
 若者たち何人も手際よく降ろすのを手伝ってくれていろいろな救援物質を見て喜んでくれた。
 また飲料水や炭、食料、冷凍ものはここでは扱わないので近くの自衛隊の基地に持って行ってくれという。車で10分程度の石巻運動公園に行くとたくさんの「災害救助」と書いた自衛隊の車が行き来しておりまた大勢の人が忙しく動いている。消防車もたくさん全国から集まったようだ。
 見渡すかぎりと言って良いほどの張られたテントの数・・・そして我々のような民間のワゴン車も多く来ている。運送会社の大型のトラックも「災害物質運搬」などと張って何台も待機している。そして脇の広場からは先ほどから大勢の隊員が次々とダンボールを積んでいたそのヘリが飛んでいった。その爆音は次のヘリ到着の爆音と入れ替わった。
 みんなが同じ目的で進んでいる。全国から来ている。海外からも、若い人も私みたいな年配者も・・・たくさんの人が働いている姿を肌でふれてそんな心に私は感動していた。来て良かったと思った瞬間でもあった。この力を感じただけで充分来た意味があったと思った。来て良かった、そして頑張りたいと思った。

 前夜にここに来る車のなかで外に少々の溜まったゴミ袋を見たものの見たかぎりでは、またこの大学のグランドにいるかぎりは大地震の爪あとはそれほど感じられなく静かなものであった。ただヘリの爆音は途切れることなく続いていた。

 当日のボランティアー活動は水害した家の片付けであった
 9時からボランティアーの受付は始まったが我々は物質の運搬で時間がかかり10時ごろにボランティアーセンターに行った。
 そこで指示されたことは石巻駅のすぐ近くで水害のあった家の片付けであった。福島から来たという青年ボランティアーと組んでの作業だ。
 指定された家は新しそうな住宅で外見ではさほど被害はないようにも思える。線路脇の家で石巻線はレールが赤錆色になっていて不通であることがわかる。
 6人で家の前の路上の泥掃除をしていると家主が現われた。78歳と言うおじいさんは腰も曲がっていなくてしっかりとしていて、てきぱきと「これはいらない。これは要る。これは重いので捨てて欲しい」と言ってくれるのでやり易かった。
 おじいさんに聞くとこの辺りは津波と言うのではなくじわりじわりと水位が高くなってきたという。胸よりも水が上がって取り残された人はボートで助けられたと言う。玄関を開けると部屋の中はつい先ほどまで水浸しという感じだった。
 当然濡れている絨毯、座布団、コタツ、書籍、食器棚、割れた食器など、ありとあらゆる物が水をかぶったようで全部捨てた。また電化製品の全て、冷蔵庫、あたらしい薄型の大型テレビ、畳なども水を含んで誰が見ても使い物にはならようで捨てた。
 恐らくここらは水をかぶった家だらけで使えない家財道具などが1mも、それ以上も道の両脇に積んであった。中には使えそうな新しい電化製品もいっぱいあった。ゴミの多さに広い道も車が1台通るのがやっとというところも多い。地震災害を目の辺りにした始めての光景であった。          
 おじいさんは我々のお昼を心配してくれた。
 持っているから良いと言うのに、どこから持ってきたのか少しのパンを取り出したので直ぐに断った。そして3時ごろには終わりにした。丁寧なお礼の言葉をいただいて皆で写真を撮ってここを後にした。 感謝されるというのは気持ちの良いものである。

地震、津波、火災後の惨状
 ボランティアーを一緒にやった福島の青年が石巻の少しひどい被害地を案内してくれるという。そこでボランティアーセンターの帰りがけに寄ってみることにした。
 石巻の駅を過ぎて車で数分も走るとたくさんの車が横倒しや仰向けになっていて車によっては商店などに突っ込んでいるものもある。まだ災害そのままの状態らしい。
 海は見えないのに津波でやられたのだろう。
 この辺りは様子からして石巻の繁華街らしい。信号機が2つ傾いている下を過ぎると、なんと道の真ん中に大きな船が道を塞いで横たわっている。「何だ!あの船どこから来たのだ、海の見えないのに一体どこから来たのだ」と声を上げた。そして良く見るとその脇にもプレジャーボットが歩道に乗り上げている。
 ここに来て初めて地震と津波の大きな被害に遭遇した。
 更に車を進めると2台、3台それ以上の車が仰向けになったり積み木のように重なり合ったりしている状態も見た。津波の恐ろしさを知ったおもいであった。
 しかしこんな大被害も更に奥に入るともっともっと大きな被害の惨状に我らは言葉を失った。
 静かな住宅街と商業地が混在していたと思われる場所がほんの少しの残骸を残して面影をわずかに残してバラバラに破壊されている。目を疑った。こんなことってあるのだろうかと・・・恐らくテレビなどで報道されてなく何も知らず突然あんな場所に連れて行かれたら夢、それも悪夢、きっと何がなんだかその光景がそして自分が信じられなくなることだろう。家ごと流され破壊され更に火が出て火事になった。そんな後を見てただ呆然とするだけであった。
 地震の時、津波の時ここにいた人たちはどんなに怖い思いをしたろうか?家に閉じ込められ、そのまま家が流され、壊れていく・・・考えるだけで心が痛む。この地震で多くの人が亡くなり、また愛する家族などを失ったことを考えるとどういって良いのか言葉が見つからない。

 時間が許されず少ない時間でいってきたが、それでも見てきたこと、聞いてきたことを多くの人に話さないといけないと思っている。そしてこれから私は何が出来るか考えている。よく言う「応援していますよ」という言葉だけで終わらせたくない。応援していますよということはそれは何もしないということだ。
 今私たちは何をするかが問われている。そしてそれは自分の生き方が問われていることだと思っている。「応援していますよ」ではなく1年後に2年後に「こんなことをした」と言える様に今何をすべきか考えている。

同行者3人の感想


・ Hさん・・・被害の大きさに驚いた。地震、津波の怖さを知った。火災も同時に起きているところも多いので更に被害がひどかった。阪神大震災も救援に行ったが違いはビルがあまり倒れていなかった。津波の被害が大きかったのか?


・ Iさん・・・ボランティアーをして喜ばれたのが良かった。また救援物質を直接に手渡しできたことが嬉しい。 
 いろいろな物を差し入れてくれた多くの人に感謝します。地元の人もボランティアーのことを知らない。
 どうすればボランティアーが来てくれるのですかと隣の家の人に聞かれたのでボランティアー申請をすれば良いと場所などを教えてあげた。現地は情報が届いていないのではないか。


・ Kさん・・・初めてボランティアーに行ったが被害の実情を見ると心が痛い。
 ヒトの力の無力、自然の力の強さを感じた。ボランティアーは1日しかしなかったけど地元の人が喜んでくれてよかった。良い経験になったし時間があればもっと手伝いたい。
 1回きりで終わるのではなく続けたい。伊東からも更にボランティアーが行くと良い。そんな輪が広がっていくと更に良いと思った。

                                         以上

全教(全日本教職員組合)のボランティア募集について
 ボランティア登録をお願いしています。
 3泊4日以上、自費などの条件があります。
 詳しくは、問い合わせてください。
 054-254-6900(静岡高教組)
 054-253-3331(全教静岡)
 054-271-8438(静岡市教組)

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。