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(6・19)6・20静岡大空襲 [平和運動]

 今から69年前、静岡市はアメリカ軍のB29爆撃機から落とされた無数の爆弾によって、焼け野原にされてしまいました。
 安倍首相と自民・公明が、集団的自衛権行使容認で動いています。
 憲法違反なことを、時の政権の一存で決めてしまうなんて、あり得ないことです。
 日本人が69年間憲法九条とともに守り抜いてきた、
戦争を起こさない、戦争で人を殺したり殺されたりしないことを、
教え子を戦場に行かせないことを、赤紙を配らせないことを、
簡単に破るのは、おかしいです。


何よりも、実際には、どんなことが戦争で、戦場で起こるのか、
また、戦場ではないはずの所でも起こったのか、思い起こす必要があります。


静岡市平和資料館をつくる会は、
6月20日(金)   
「静岡空襲犠牲者追悼のつどい」を
駿府城公園で開きます。
午後4時から5時までです。
「とこしえの像」の前で、空襲体験者がお話してくれます。


静岡大空襲については、
このブログ内でも、何回か取り上げています。読んでみてください。

このブログ内↓下記参照
http://shikyoso.blog.so-net.ne.jp/2008-06-18


再掲
空襲のこと、戦争があったことを忘れない!


この時期、浜松、静岡、清水(現 静岡市清水区)、磐田などに空襲があったことを



静岡大空襲については、このサイト内にも掲載しています。
「日本本土空襲」で、ウイキペディアなど参照。



浜松大空襲
 地方都市で最も空襲の多かったと言われる浜松
 特に6月18日の大空襲は、投下爆弾量、被害者数など多かった。



静岡大空襲
 6月19日深夜から20日未明にかけての大空襲。



清水(現在 静岡市清水区)の空襲
 7月7日の空襲は、大きかったと言われます。



 浜松、清水は、沖合から艦砲射撃もされて、大被害を受けたようです。

 


 静岡県は、軍需工場があったこともありますが、富士山、浜名湖などを目印にして、アメリカ軍のB-29が飛来していたこともあって、
空襲の多かったことが知られています。



 例えば、磐田市立磐田北小学校(旧 見附国民学校 磐田市見付)では、68年前の空襲被害を忘れないと、今でも慰霊祭や平和学習を行っています。
同校HP参照。



 1945年5月19日に、下校途中の子どもたち28人と、引率の若い女性教員が1発の爆弾で命を落としました。



 東京、京浜(富士山を目印に飛来)や名古屋、中京(浜名湖を目印に飛来)の大都市を空襲したアメリカ軍爆撃機B-29は、残った爆弾を落としてから帰還せよと言われていたからです。爆弾を残したまま帰還すると、着陸の時に危ないからでしょうか。あるいは、帰還のための燃料確保のためか。
 「爆弾のゴミ捨て場」という言い方で指示されたようです。いくら戦争とはいえ、ひどい表現ですね。



 戦争を知らない世代が多くなりましたが、みんなで学びたいですね。また、知っている世代の方が、少しずつ語り始めたという話も聞きます。


 子どもたちのゲームに、残虐なものがけっこう出回っています。一定のセーブをかけることも必要かなと思っています。



 教えこむのでなく、事実を事実として知らせること、知らされていないことが多いことを、もっと伝えたい!

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