木村裁判 第1回証人尋問4月14日の報告 [木村百合子さんの公務災害認定を求める裁判]
木村裁判 2011年4月14日(木)
証人尋問第1回 報告
4月14日、木村裁判で初めての証人尋問が行われました。
今回の証人は当時の研修主任と教頭です。
はじめに報告したいのは、新たな、そして驚くべき事実がわかったということです。
それは、5月の段階で、教頭が木村さんに対し「教師に向いていない。」という評価を下していたということです。(5/13)
それは、当時の研修主任との次のようなやりとりからわかりました。
木村さん側弁護士
「5月に木村さんと話をしたときに木村さんが泣き崩れ、『私を見ていて欲しい。』と言われて、あなたは支援に入ることにした。そのとき木村さんの指導教諭や教頭先生にも入ってもらおうとしなかったのはなぜですか?」
当時の研修主任
「教頭は木村先生は教師に向いていないと言っていた。自分はそれはないだろうと思っていたので、自分が助けるしかないと思った。」
このことについて教頭は校長に「教師に向いていない。辞めてもらったらどうか。」と言ったと証言しました。校長はそれに対し、「まだ期限付き任用期間なんだし、長い目でみてやって。」と言ったそうです。
その言葉をなぜ研修主任が知っていたのか?
この学校では週に1回、4~6年の主任、研修主任、教務、教頭で
「なっとうく会議」
というのをやっていたそうですが、おそらくその席上でも教頭は同様の発言をしていたのではないでしょうか。
教頭は「なっとうく会議」では木村さんをどう支援していくかを検討したといいますが、議事録を見る限りでは有効な手立てが打たれていません。この会議の主導権を握る教頭が木村さんに対してそのような評価をし、それを口にしていたと考えれば、すべて納得できます。
また、「なっとうく会議」の議事録(教頭が記録)には「K・・・キリスト教、毎週教会に行く。思い込みが激しく、つまらないプライド高い。」と書かれています。
これが教頭並びに「なっとうく会議」での木村さんの評価だったということです。
この他にも、ベランダで遊んではいけない(そういう規則になっていた)と注意した木村さんに何人かの男子児童が「何でいけないのか?」と反発し、職員室までついてきてもめたという事件も出てきました。
そのことが「なっとうく会議」で話題になったのですが、結論は「ダメなものはダメという教師の姿勢が必要。」という訳のわからないことだったそうです。
2人の証言の中に、いくつかの矛盾も出てきました。
1つは、当時の研修主任は木村さんが亡くなった後そのクラスを受け持ちましたが、2月頃になってNくんのお母さんから「もう通院しなくて良くなった。医師からはADHDではないと言われた。」という連絡帳を受け取り、教頭にも見せた、と証言しました。
しかし、お母さんは陳述書の中で、当時の研修主任からは何の話もなく、お母さんから連絡したこともない、と述べています。
また、当時の研修主任は、6月に木村さんのクラスで朝の会の時間なのに子どもたちが騒いでおり、注意しに入ったら木村さんが何もしないで座っていたので木村さんを廊下に呼び出した。この時「アルバイトじゃないんだ、しっかり働け。」と厳しく叱責したが、児童に見えないように、また声も聞こえないように配慮したと証言しました。
誰にも見られていないはずとも言いましたが、しかし同じ学年の先生の陳述書の中に、「木村さんが、当時の研修主任から怖い顔で厳しくしかられているのを見た。」という記述があります。
さらに、教頭は事件後に教育委員会も同席して遺族との話し合いを持ったときに「Nくんが教室を飛び出し郊外へ出ようとするのを木村さんが止めようとしているところに養護教諭からの知らせで駆けつけた。そのとき木村さんはNくんを羽交い締めにしていた。」と言ったのに、陳述書では「Nくんは暴れてはおらず、木村さんから離れようともしなかった。」と書いています。
話がまた教頭に戻ってしまいますが、結局、教頭には木村さんを支援する気がなかったということがハッキリわかりました。いろいろな事実を把握し、対策が必要と言いながら、教頭は木村さんが書いた初任者研修の実習録も、Nくんについての記録ノートも見ていませんでした。指導教諭や養護教諭から詳しく話を聞くこともしませんでした。
これには裁判官も驚いたようで、「なぜ情報を集めようとしなかったんですか?」と質問したくらいです。
それから、なんと今回の尋問のために木村さん側の弁護士が記録ノートや元校長の陳述書などを郵送したのに、教頭はなんと封も開けていなかったと言ったことです。
あと、次の証人尋問ではお母さんの他に、三島市の元先生も採用されることになりました。裁判所側が一旦認めなかった証人が、採用されるのは、なかなかないことのようです。
最後に、新たな事実をあぶり出した木村さん側の弁護士の追求に拍手!
下記も参照を。
http://video.labornetjp.org/Members/YUMOTO/videos/syouninjinmon.wmv/view
次回は、
5月12日(木)13時30分~16時30分
静岡地裁
静岡駅北口から、歩いても15分くらい。
駿府公園の西側、その南隣は静岡税務署、市立病院です。
是非、傍聴に来てください。静かであれば、途中入退OKです。
はるばる東京や大阪・堺からも来てくださっています。
2回目の証人は、
木村百合子さんのお母さんと、
三島市の元小学校教員だった方です。
なぜ、この裁判は起こされたのか、誰か個人を責めるつもりではないこと、
本来、新採教員は、どう育てられるべきか、学校では、どう支えあったらいいのか、
木村さんは、どうだったのか、
などが、よくわかると思います。
さらに3回目の証人尋問は、6月9日(木)に予定されています。
証人は、両者から、精神科医の方が来る予定です。
証人尋問第1回 報告
4月14日、木村裁判で初めての証人尋問が行われました。
今回の証人は当時の研修主任と教頭です。
はじめに報告したいのは、新たな、そして驚くべき事実がわかったということです。
それは、5月の段階で、教頭が木村さんに対し「教師に向いていない。」という評価を下していたということです。(5/13)
それは、当時の研修主任との次のようなやりとりからわかりました。
木村さん側弁護士
「5月に木村さんと話をしたときに木村さんが泣き崩れ、『私を見ていて欲しい。』と言われて、あなたは支援に入ることにした。そのとき木村さんの指導教諭や教頭先生にも入ってもらおうとしなかったのはなぜですか?」
当時の研修主任
「教頭は木村先生は教師に向いていないと言っていた。自分はそれはないだろうと思っていたので、自分が助けるしかないと思った。」
このことについて教頭は校長に「教師に向いていない。辞めてもらったらどうか。」と言ったと証言しました。校長はそれに対し、「まだ期限付き任用期間なんだし、長い目でみてやって。」と言ったそうです。
その言葉をなぜ研修主任が知っていたのか?
この学校では週に1回、4~6年の主任、研修主任、教務、教頭で
「なっとうく会議」
というのをやっていたそうですが、おそらくその席上でも教頭は同様の発言をしていたのではないでしょうか。
教頭は「なっとうく会議」では木村さんをどう支援していくかを検討したといいますが、議事録を見る限りでは有効な手立てが打たれていません。この会議の主導権を握る教頭が木村さんに対してそのような評価をし、それを口にしていたと考えれば、すべて納得できます。
また、「なっとうく会議」の議事録(教頭が記録)には「K・・・キリスト教、毎週教会に行く。思い込みが激しく、つまらないプライド高い。」と書かれています。
これが教頭並びに「なっとうく会議」での木村さんの評価だったということです。
この他にも、ベランダで遊んではいけない(そういう規則になっていた)と注意した木村さんに何人かの男子児童が「何でいけないのか?」と反発し、職員室までついてきてもめたという事件も出てきました。
そのことが「なっとうく会議」で話題になったのですが、結論は「ダメなものはダメという教師の姿勢が必要。」という訳のわからないことだったそうです。
2人の証言の中に、いくつかの矛盾も出てきました。
1つは、当時の研修主任は木村さんが亡くなった後そのクラスを受け持ちましたが、2月頃になってNくんのお母さんから「もう通院しなくて良くなった。医師からはADHDではないと言われた。」という連絡帳を受け取り、教頭にも見せた、と証言しました。
しかし、お母さんは陳述書の中で、当時の研修主任からは何の話もなく、お母さんから連絡したこともない、と述べています。
また、当時の研修主任は、6月に木村さんのクラスで朝の会の時間なのに子どもたちが騒いでおり、注意しに入ったら木村さんが何もしないで座っていたので木村さんを廊下に呼び出した。この時「アルバイトじゃないんだ、しっかり働け。」と厳しく叱責したが、児童に見えないように、また声も聞こえないように配慮したと証言しました。
誰にも見られていないはずとも言いましたが、しかし同じ学年の先生の陳述書の中に、「木村さんが、当時の研修主任から怖い顔で厳しくしかられているのを見た。」という記述があります。
さらに、教頭は事件後に教育委員会も同席して遺族との話し合いを持ったときに「Nくんが教室を飛び出し郊外へ出ようとするのを木村さんが止めようとしているところに養護教諭からの知らせで駆けつけた。そのとき木村さんはNくんを羽交い締めにしていた。」と言ったのに、陳述書では「Nくんは暴れてはおらず、木村さんから離れようともしなかった。」と書いています。
話がまた教頭に戻ってしまいますが、結局、教頭には木村さんを支援する気がなかったということがハッキリわかりました。いろいろな事実を把握し、対策が必要と言いながら、教頭は木村さんが書いた初任者研修の実習録も、Nくんについての記録ノートも見ていませんでした。指導教諭や養護教諭から詳しく話を聞くこともしませんでした。
これには裁判官も驚いたようで、「なぜ情報を集めようとしなかったんですか?」と質問したくらいです。
それから、なんと今回の尋問のために木村さん側の弁護士が記録ノートや元校長の陳述書などを郵送したのに、教頭はなんと封も開けていなかったと言ったことです。
あと、次の証人尋問ではお母さんの他に、三島市の元先生も採用されることになりました。裁判所側が一旦認めなかった証人が、採用されるのは、なかなかないことのようです。
最後に、新たな事実をあぶり出した木村さん側の弁護士の追求に拍手!
下記も参照を。
http://video.labornetjp.org/Members/YUMOTO/videos/syouninjinmon.wmv/view
次回は、
5月12日(木)13時30分~16時30分
静岡地裁
静岡駅北口から、歩いても15分くらい。
駿府公園の西側、その南隣は静岡税務署、市立病院です。
是非、傍聴に来てください。静かであれば、途中入退OKです。
はるばる東京や大阪・堺からも来てくださっています。
2回目の証人は、
木村百合子さんのお母さんと、
三島市の元小学校教員だった方です。
なぜ、この裁判は起こされたのか、誰か個人を責めるつもりではないこと、
本来、新採教員は、どう育てられるべきか、学校では、どう支えあったらいいのか、
木村さんは、どうだったのか、
などが、よくわかると思います。
さらに3回目の証人尋問は、6月9日(木)に予定されています。
証人は、両者から、精神科医の方が来る予定です。
2011-05-04 16:54
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