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子どもたちは、学校は  東日本大震災ニュース第3号つづき [がんばれ東北・関東]

全教・東日本大震災ニュース第3号 つづき

宮城県沿岸部の津波で被災した学校を訪問し激励

―23日から、宮城高教組と県教組が合同で一


両教組は、合同で、津波被害で大きな被害を受け、多くが避難所となっている沿岸部の11市町、約30校を訪問し、実情を聞き激励しています。学校と児童・生徒、教職員の被災の状況、学校再開への課題、人事異動の問題点などがいっそう明らかになりました。今後、この訪問の報告を掲載します。被災地の実情をふまえ、全国的な支援、救援カンパのとりくみをいっそう強めていきましょう。


気仙沼市内の学校(3月26日)

A県立高校より


地震があった日は採点日だったので、生徒は一人もいませんでした。海からはだいぶ離れた山沿いのところであるが、津波は川を遡ってきた。25日(金)のタ方、ようやく電気が通るようになった。
 水はまだ、あと10日ぐらいかかるようだ。学校は、遺体安置所になっており、自衛隊が300人つめています。ガソリンがないので校長はずっと泊まっている。
生徒の安否確認は、ガソリンがなく大変だったが、1、2年生は全員無事。3年生で1人、お母さんと津波から走って逃げた生徒が亡くなった。教職員では10人以上、家族や親族を亡くした方がいる。自宅が流されたり、焼失した教職員もいる。
 地元の会社が流されてなくなっているので、内定取り消しの連絡を受けている。これから増えるのではないか。また、学校の修繕も、地元の会社が流されたり、焼失したりしていてままならない。
レールも飛ばされ、駅も橋もなくなった。4月21日学校再開と県教委は言っているが、生徒の8割が気仙沼線を利用しているので、生徒の足を確保してくれなければ無理。県や市がスクールバスなどを出してほしい。生徒達は今、避難所で生きるので精いっぱい。生徒達の生活の復元を早くしてもらいたい。


B中学校より


学校は無傷だったので、市内では一番大きい避難所になっている。現在700~800人いて、多い時は2000名いた。物資については、自衛隊の支援があるので、今のところ間に合っているが、食事は1日に2度。生徒については、1、2年生は安否確認全員できたが、卒業生が1名死亡。2名行方不明。家族親戚関係を亡くした教職員2名。家屋流失したり、アパートに住めないなど被災した教職員5名。半分の生徒が避難せざるをえない。先日登校した時、ショックを受けていて、見たことのない顔をしていた生徒がたくさんいた。学校に子どもたちが何とかして集まるようにしたい。
異動に関して、兼務については、アパートの契約が3月で切れ、1、2ヶ月の延長を大家が認めない。そういう現実的な問題があり難しい。


C小学校


昨年8月から校舎の改修(耐震工事)を行っており、校舎は無事だった。児童は、433名、全員無事。ただ家がなくなったり、家族親族が亡くなったなど被災した児童が100名ぐらいはいる。児童の引渡しに4日かかった。その間ずっと教員は学校につめていた。身内を亡くした教職員3名以上。家をなくした教職員は5、6名できかない。自宅にいた教員が1名行方不明になった。
 22、23、24日は学校を再開した。避難所になっており、体育館、管理棟を開放している。90名ぐらいの方が生活している。学校再開するために、避難している方の生活の場所を確保してほしい。
 教室は使えるがそれ以外は、避難をしている方が使っている。子どものケアのために人手がほしい。


管理職の先生からの声


自分は今度異動になるが、今度来る人は本人も身内を亡くし職員室が浸水し、パソコンが使えない状態。そういう学校を残して異動することになる。ここに異動してきて地域の様子も分からず、避難所の対応を任されるのは大変ではないか。

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